優しさで壊す嘘つきの世界
「クラゲ、ちょっと来て」
「え?」

 授業が終われば昼休憩。号令が終わった途端に、彼の腕を引っつかめば、そのまま引きずりながら人目のつかない階段の踊り場まで来た。

「……ど、どうしたの?」

 教科書を入れようとしていたのか、彼の片手にはランドセルが掴んであった。なんとなくクラゲの顔を見れなくて、代わりにそのランドセルにくっついていたウサギのぬいぐるみを睨みつけた。何だか、クラゲと話すときは、いつもウサギを見つめてしまう気がする。

「何で、私なんかを庇うの」
「え? ああ、さっきのこと?」

 私は黙ったまま頷いた。クラゲは少し考えるように数秒沈黙した後、真っ直ぐに私を見る。

「だって、おかしいもん。真子ちゃん、さっきは全然悪くなかったのに、あんな一方的に言われるなんて、ぜったいおかしい」
「おかしくても、あんな風に庇わないでよ」

 クラゲは、すごく変な奴。すごく変で、バカ正直で、優しい。

「私は最初からみんなに嫌われてるけど、クラゲは違うじゃん。クラゲまで、変な誤解受けちゃうでしょ」

 恐る恐るクラゲの表情を確認してみると、ぱちぱちと何回か瞬きをして、なぜか嬉しそうに笑みを崩した。

「それで誤解受けるんだったら、僕、全然平気だよ?」

 クラゲが私を気遣うように首を傾げると、豚の尻尾みたいにカールした寝癖がぴょんと跳ねた。

「嫌われるのは慣れっこだし。僕、元いじめられっこなんだ」
「え?」
「今はまだマシになったけど、お父さん、借金抱えててさ。貧乏で、毎日同じ服着て学校行って。それに、運動も勉強も全然ダメだったから、『バカ』とか『貧乏人』とか言われて、クラスメイトにからかわれてた。このウサギも、トイレに流されかけたことあったし」

 私は思わず、クラゲの腕を強く握っていた手を離した。他の男子と同じように、ちょっとだけ筋肉のついた彼の腕が急に華奢で頼りないものに思えた。

「だからね、ちょっとぐらいだったら平気なんだ。僕だけが、傷つけばいいものだったら、ね」

 笑みの中に、す、と影が落ちる。クラゲの笑顔が自嘲的なものに変わった。

「僕、ここにくる前の学校で、好きな女の子が居てさ、僕と仲良くしてるからって理由で、その子までいじめられそうになったんだ」

 彼は表情を隠すように俯いた。髪がさらりと彼の頬にかかる。

「だからさ、僕、怖かった。今度もいじめられちゃったらどうしようって。もし、友達が出来たとき、その子までいじめられちゃったらどうしようって。だから、最初は誰とも仲良くしないでおこうかなって、いっぱい、いっぱい考えてた」

 クラゲは、ふと顔を上げて私に笑いかける。その笑顔はいつの間にか、影のない健やかな笑顔に戻っていた。

「でも、その心配もふっとんじゃった。隣の子にいきなりイソギンチャクって呼ばれるなんて思ってなくてさ。びっくりしたけど、嬉しかった」

 その笑顔を見たとき、急に足に力が入らなくなって、そのまま、膝を折ってしゃがみこんだ。

「ごめん」

 そう呟いた声が少し掠れた。聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声だったのに、それはちゃんと彼の耳に届いてしまったらしい。クラゲもしゃがみこんで、私の顔を覗き込んでくる。

「んー? なんで真子ちゃんが謝るの? 僕、真子ちゃんに感謝してるんだよ?」

 クラゲは無邪気に私に笑いかけた。バカはどっちだろう。クラゲは、何にも考えてないバカじゃないんだ。その笑顔の裏側で、色んなものを背負ってるんだ。私は上手く笑うことなんて出来なくて、そのままクラゲから目を背けた。

「クラゲに比べたら、すっごい弱い子の話なんだけどさ、聞いてくれない?」

 クラゲにだったら話してもいいかなって思った。誰にも言えずに、ずっと胸にしまいこんでいた本当の気持ち。どうしようもなく弱虫な、私の話。

「わたし、親友が居るんだ」
「うん」

 クラゲの相槌を聞くと、胸に安堵感が広がった。話すことを許してもらえた私の口は、すらすらと声が出た。

「その親友ね、私に負けないぐらい嘘吐きでさ」
「うん」
「例えば、友達に、私の母親は大女優で、人気アイドルのアラシとも会ったことがあるって嘘ついた。そしたら、そのとき、友達が目きらきらさせてさ、すっごく面白そうに聞くの。その友達だけじゃなくて、話したこともない子や、すっごい格好いい男子とか、みんなその話に夢中になってくれた。そのときだけ、その子は、みんなのリーダーになれた。……でも、嘘は簡単にバレちゃった。みんな、あんなに楽しそうに聞いてたのに、嘘だと知った途端、すごくがっかりした目でその子を見たの」
「……うん」
「それでね、焦って、嘘じゃないって言い張っちゃたんだ。もうバレちゃってるのに、全部嘘でしたって認めちゃうのが怖かった。でも、当然だけど、全部裏目に出ちゃったんだよね。余計みんなの信頼失くしちゃって。みんな、その子のこと避け始めてさ、今ではクラスで孤立してる。ちょっと話しかけようとしても、どうせ全部嘘でしょって笑われちゃうの」

 嘘は悪いことだ。嘘やでまかせで自分の上っ面だけを塗り固めたって、誰も本当の自分に気づいてくれない。そんなことは分かってる。

「それなのに、その子弱いから、みんなが遠ざかっていくのが怖くて、また嘘ついちゃうんだ。嘘、やめたいけど、やめれないの」

 自分がどんどん一人になっていくほど、自分にどんどん自信がなくなっていくほど、嘘をついたときの、自分に対して向けられた、みんなのきらきらした目を思い出した。気づいたら、また同じことを繰り返している自分がいた。
 まるで呼吸をするように、無意識のうちにバレバレな隙だらけの嘘をついてしまう。そしてその嘘の数々を取り繕うために、また嘘に嘘を塗り固めていく。こんな自分を直したい。そう思ったときには、もう誰も私を見てなかった。

「その子ね、今『オオカミ少女』って呼ばれてるんだ。でね、その子、本当の名前、真子っていうの。真って本当ってゆー意味なのに、あだ名はオオカミ少女。なんか、ぴったりすぎて笑えちゃう」

 嘘だけど。全然笑えない。むしろ、泣きそうになる。私は自分の膝小僧に額を乗せた。自分のスカートに、ぽたりと雫が落ちたけど、ばれないように顔を埋めて、目元を膝に擦りつける。
 なんでもないって顔して聞き流していたあだ名は、いつも、小さな棘みたいにちくちくと容赦なく私の心を刺していた。きっと、私みたいな嘘つきは変われないんだって思った。嘘をついた罰で、誰も自分を見てくれない嘘つきの世界で、ずっと耐えなきゃいけないんだって思った。
 そんなときに、クラゲが現れたんだ。
 私が最初にクラゲに嘘をついたのは、クラゲもみんなと一緒なんじゃないかって思ってたから。きっと、クラゲはみんなに私が嘘つきだってことを教えてもらって、みんなと一緒に私を避ける。間接的にそうなってしまうのなら、いっそ直接嘘つきだって、知ってもらったほうがマシだと思った。仲良くなってから、冷たくされるのなんて嫌だから。
 でも、クラゲは嘘をついても怒らなかった。私が嘘つきだって知っても、変わらず接してくれた。クラゲは強くて優しい。ちゃんと、私を本当の名前で呼んでくれる。おはようって言ってくれる。今だって、クラゲは最後までちゃんと私の話を聞いてくれた。最初は、びっくりして戸惑って、気に食わないって言葉で隠してたけど、本当は、すごく嬉しかったんだ。

「その子、どうすればいいと思う? 私、分かんないんだ」

 私は、顔を埋めたまま、訊いてみた。クラゲが考えるように、うーん、と唸る声がした。

「嘘をやめれないなら、人を幸せにする嘘をつけばいいんじゃないかなあ?」
「人を幸せにする嘘?」
「うん。ほら、嘘も方便って言うじゃん? 誰かのためについた優しい嘘なら、きっと、その人も真子ちゃんの本当の気持ち、気づいてくれると思う」

 人を幸せにする嘘。私は唇の裏側でこっそり呟いてみた。
 私が幸せにしたい人。そんなの、決まってる。じゃあ、どうすれば、その人は幸せになってくれる?
 自然と頬が緩んだ。嘘を考えて楽しいなんて思うの、久しぶりだ。

「あ! あそこに本物のクラゲが浮かんでる!」

 私は突然顔を上げれば空を指差して叫んだ。クラゲは「え?」と間抜け顔で空を見上げる。私はその間にリュックについていたウサギを外した。

「……あ、クラゲじゃなくて雲だった」

 ポケットにウサギを突っ込めば、わざとらしくそんなことを言って。それを聞いたクラゲは振り返って、ぷくっと頬を膨らませた。

「今の、絶対わざとだ!」
「うん、わざと。まさか、こんな簡単な手に引っ掛かっちゃうなんて、クラゲ、正真正銘のバカじゃない?」
「ひっどいなあ」

 クラゲは眉を下げて首を竦めた。でも、私の顔をみて、ふにゃりと表情を綻ばせる。

「でも、許す。僕、真子ちゃんが笑ってくれたら嬉しいもん」
「笑う?」

 私は、ふと自分の頬に手をやった。私の頬はちょっと濡れていて、ちょっとかたい。久しぶりに笑ったせいで、顔が変に緩んでいるのが分かった。こんな情けない笑い顔を見てほしくなくて、また、顔を膝小僧に押し付けた。
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