優しさで壊す嘘つきの世界
 次の日の朝。昨日夜更かしをしてしまったせいか、頭がくらくらした。指も何だか疲れていて、握ったり開いたりする動作をするだけでもちょっと痛い。けど、どこかちょっぴりわくわくしていた。
 外はこの前と同じように雨が降っている。ぱたぱたと、冷たそうな雫が階段の踊り場の窓を叩いていた。あの時の嘘が上手くいったんだから、今回の嘘も上手くいくはず、なんて、根拠も説得力もないんだけど、変な自信だけは胸に満ちていた。

「ねえねえ、僕のウサギ、知らない?」

 クラゲは、学校に来るなり、泣きそうな顔で私を見た。

「知らないよ」

 私は白々しくそう言った。ウサギは私の鞄の中にあるんだけど。

「そっかあ、そうだよね」

 クラゲは寂しげに眉を下げて、持て余していた手で自分の髪を掻いた。もともとボサボサの髪が、もっとボサボサになってしまっているのに、クラゲはそれを直しもせずに、きょろきょろと何も無い綺麗な床を見渡した。

「クラゲ、どこで無くしたんだ?」

 一人の男子がクラゲに話しかける。

「え? んー、分かんないんだよね。昨日の昼休憩のときにあったのは覚えてるんだけど……」

 クラゲは唇を尖がらせて、不思議そうに首を傾げた。

「あ、そーいえばさあ、クラゲくん、そのとき、オオカミ少女と一緒に居たよねえ?」

 耳にこびりついた甘ったるい声。

「オオカミ少女は知らないのー?」

 鈴木夕子たちの女子グループが私を見る。どきり、と心臓が脈打つのを感じた。この子たち、時々変に鋭いし、私のこと全然見てないのかと思ったら案外ちゃんと見てたりする。特に鈴木とか、昨日恥かいたばっかりだから私の粗探しに必死なんだ。

「知らない」

 私はいつものように無愛想に返すと、「ふうん」とつまんなそうに目を細めた。大丈夫。きっとばれてない。ウサギを盗ったとこ、誰にも見られてないし。

「あ、僕、ちょっとトイレ行って来るね。もしかしたら、トイレにあるかもしれないし」
「はあ? クラゲ、トイレにまでウサギ持って入ってんのかよ」

 男子の一人がそう言うと、教室がどっと沸いた。

「さすがにそこまではしないって! でも、まあ、心当たりは一応見てみる」

 クラゲも笑ってそう返して、教室を出て行った。
 クラゲの足音も遠のいた頃、鈴木が近寄ってきて、昨日と同じように私を見下ろした。この前は一人だったけど、今度は遠巻きに三人ほど後ろに居て、更にタチが悪い。

「さて、と。オオカミ少女さん。そのカバン中、一応、見せてくんない?」
「は? 何で?」
「心当たりは一応ね」
「意味分かんない。――っあ!」

 私が手を伸ばしたときにはもう遅かった。鈴木は手提げ鞄をそのままひっくり返した。水筒の落ちた時、金属の高い音が耳をじん、と痺れさせた。一番奥に突っ込んでいたウサギは、床にころんと転がっていた。私は這いつくばって、ウサギを手に取り、ポケットに突っ込んだ。

「やっぱり!」

 鈴木の表情が分かりやすく華やいだ。目を爛々と輝かせながら、勝ち誇った顔で私を見下ろす。
 昨日の仕返しだ。

「クラゲくんに優しくしてもらって、そのお返しにコレ? サイテーだね、さっすが、オオカミ少女」

 けたけたと下品な笑い声。彼女は悪者をやっつけた正義のヒーロー気取りなんだろうけれど、笑い方で台無しだ。私が色眼鏡で見てるからかもしれないけど、まるで意地の悪い魔女のように見える。
 そんな時、きゅ、とシューズが床を擦る音が急に鮮明に聞こえてきて、私は思わず教室の入り口を振り返る。そこには、クラゲが立っていた。

「あ! クラゲくん、聞いてよ、このオオカミ少女さあ――」

 クラゲとぱちりと目が合った。そのとき、昨日のクラゲの声が、耳を掠めた。

 ――「ちょっとぐらいだったら平気なんだ。僕だけが、傷つけばいいものだったら、ね」

 その後の寂しそうな笑顔も、瞬きをしたときに瞼の裏で見えた。私は「違う」と口走りそうになったけど、その言葉と一緒に、ごくんとつばを飲み込んだ。今、嘘を白状すれば、クラゲはきっと分かってくれる。庇ってくれる。でも、ここにいるのはクラゲだけじゃない。クラゲ以外の人からしたら、きっと嘘の上塗り程度にしか思わない。そしたら、クラゲが誤解される。嫌われ者の味方をしたクラゲまで、私みたいに嫌われてしまう。
 ごめん。クラゲ。
 私は、ポケットの中にあったウサギをクラゲに思いっきり投げつけた。息を思いっきり吸い込む。

「盗んでないよ。落ちてたから拾ってあげたの」

 吐いた息と一緒に一気に言った。

「嘘つき!」

 鈴木夕子が叫ぶ。それが、きっかけとなって、教室中にどんどん伝染していく。「うそつき」「うそつき」「うそつき」。たくさんの「うそつき」が重なって聞こえる。今まで、何度も、何度も、言われた言葉。
 クラゲは私が投げつけたウサギを、しゃがみこんで大事そうに拾った。そして顔を上げたクラゲと目が合った。クラゲは、眉を下げて、笑ってた。

「こんなの、ぜんぜん、平気だよ」

 きゅ、と唇を噛んだ。目頭が熱くなって、視界が滲む。クラゲの笑顔は、私の心臓を簡単に貫いた。吐きたくなるぐらいの痛みとか、涙とか、そんなものが透けて見えた気がした。こんな顔が見たかったわけじゃないのに。私はまた、クラゲが隠さなきゃいけない傷を一個作ってしまったのかもしれない。
 でも、大丈夫。言い聞かせるように、心の中で呟いた。これで、クラゲは私のことが嫌いになる。私の嘘で、クラゲが不幸になるのは、これで最後。
 やっぱり、私には無理だったみたい。人を幸せにする嘘なんて。
 私は唇を噛んで、そのまま教室を出て行った。
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