1と白と○

水と油の境界線

「あーあ、もう疲れた」
「そうなんだ」

 間宮はそれだけ言った後、言葉を探すように視線をうろつかせ、控えめな声で「何に疲れたの?」と聞いてきた。この沈黙に。そう答えたくなるのを飲み込んで、でも何も答えないわけにもいかなくて、「人生に」と答えた。そしたら、間宮はやっぱり控えめに笑って「一体何があったの?」と聞いた。

「とにかく疲れたの」

 あたしはそう答えるしかなかった。勿論、人生に本気で疲れているわけじゃない。それは間宮も分かって聞いている。この沈黙を何とかして繋げようと、無理矢理問い返したんだ。あたしに対して気を遣っているのがひしひしと伝わってくる。でも、それ以上会話を続けてくれるでもなく、結局、また沈黙が降りる。
 これが今日三回目。話題を振るのはいつもあたし。そして、一分もしないうちに会話が終わる。なんで病み上がりのあたしがこんなに気を遣わなくちゃいけないんだろう。

「間宮のせいだからね」

 苛々して、思わず口をついて出た。

「え、私?」
「うん。この人生に疲れたの、ぜーんぶ間宮のせい」
「私、あやちゃんと知り合って二年ぐらいなのに、あやちゃんの人生を疲れさせちゃうなんて、すごいね」

 間宮は自虐的に笑ってそう言った。ああ、うざいなあって反射的に思った。
 あたしは間宮が嫌いだ。多分、クラスで同じグループじゃなかったら、口も利いてない。二年間一緒のクラスで、それなりの時間を過ごしてきたけど、こんな風に二人きりになってしまったときは、いつもギスギスして他所他所しい。根本的に気が合わないんだろう。

「うん、すごい。あたし、二年でこんなに人を嫌いになったの、初めてだと思う」

 あたしの言葉に、間宮はゆっくり瞬きをして、浅く唇を噛み、寂しそうに笑う。

「じゃあ、お見舞い来て、ごめんね」

 謝られたって困る。私は被害者ですって目であたしを見ないで欲しい。そう思ったけど、もし、この場に第三者が居たら、間違いなくあたしは加害者になってしまっているだろう。相手が間宮じゃなかったら、素直に「あたしこそ、こんなこと言ってごめん」って言えるのに。それ以前に、間宮以外の友達に対して「あんたが嫌い」なんて、絶対に言えないけど。
 こうして二人きりになってしまったのも、ミサとユーコのせい。二人して、急に用事が出来て行けなくなった、なんて分かりやすい嘘ついてまで、あたしと間宮を仲直りさせたいらしい。
 こんなことになるんだったら、メールなんてするんじゃなかった。「暇すぎるからお見舞いに来て」なんて。確かに、すごく暇だった。学校に居るときはあんなに休みたいって思ってたのに、いざ風邪引いてしまったときには何にもすることがない。気づいたら、今は三時間目で数学やってるな、とか、今お昼休みだな、とか、時計を見つめながら考えていた。ミサやユーコに会いたくてメールしたのに、会いに来たのはよりによって大嫌いな間宮。あたしにとっては嫌がらせ以外の何物でもない。正直、いい迷惑だ。きっと、間宮にとっても。
 当の間宮は、あたしの部屋をきょろきょろとせわしなく見渡しながら、その途中であたしと目が合って、可笑しくもないのに、あはは、と力なく笑った。あたしはそれに笑い返すことなく、わざと目を逸らす。
 間宮は何故か、他の友達からは好かれていた。間宮が用事で来れないときは、「まーちゃんが居なきゃつまんない」「まーちゃんが居たらもっと盛り上がるのに」って、何かある度に「まーちゃん」が出てくる。まーちゃんというのは間宮のあだ名だ。あたしは絶対に呼びたくないけど。嫌いな友達には親しい呼び名で呼びたくないし、呼ばれたくない。だから、本当は間宮があたしのことを「あやちゃん」なんて呼ぶのも嫌。

「あたしは間宮が嫌いなのは変わんないから」

 また、ふつふつと黒い感情が胸の内に沸いてきて、気づいたら念を押すようにそう言っていた。カチ、コチ、とやけに耳障りな時計の音が、あたしの言葉の冷たさを引き立たせてる気がした。あたしはこんなことを言って、間宮に何を求めているんだろう。間宮といると、あたしはどんどん性格が悪くなる。

「分かってるよ、そんなの」

 間宮は眉を下げて、困ったように笑った。イライラを抑えるために言ったのに、こんな反応を見てしまうと変な罪悪感が加わるだけで、ちっともすっきりしない。ひどい悪循環だ。
 こんな風に、間宮が嫌いだ、と真正面から言い始めたのはいつからだろう。思い出せなかったけど、「嫌い」と初めて言ったときの間宮の表情だけは覚えていた。間宮は全然驚いてなくて、やっぱりか、と言いたそうに、でも何も言わずに、なぜか安堵した様子で笑っていた。それは、そのときのあたしが求めていた反応じゃなかったから、余計にいらいらしたのも覚えている。 
 さっきから、間宮は何か言うのを躊躇っているみたいだった。そして、またいらいらした。言いたいことがあれば、さっさと言えばいいのに、ちらりと此方を見ては、口を噤んで俯いて、しばらくしてまたあたしを見て、の繰り返しだ。一回目と二回目は知らないふりをしていたけれど、三回目になってくると流石に我慢できなくなって、「何?」と言った。出来るだけ鋭く、相手が怯むような無表情で。そしたら、間宮は期待通りの反応をして、怯んだように視線をうろつかせた。そうなるように仕向けたのはあたしだけど、実際にそうなってしまったらしまったで、いらいらする。どろっとした黒いものが胸の中に流れ込んでくる心地がした。
 間宮はあたしの言葉に背中を押されたように、こちらを見て、口を開いた。

「私ね、あやちゃんに感謝してるんだ。嫌いって言ってくれて、ありがとう」

 予想外の言葉すぎて、一瞬、日本語が分からなくなった。何言ってんのこいつ、と思って、反射的にあたしも声を出した。

「はぁ? 何それ。言っとくけど、あたし、ほんとに間宮のこと嫌いだよ」

 自分でも、棘のある口調だと思った。でも間宮は、さっきのように怯んだ目をしなかった。

「知ってるよ。私も、あやちゃんのこと苦手だもん」

 意外だと思った。間宮はあたしが「嫌い」と言っても、「私も嫌い」と言い返すことが無かったからだ。間宮はいつも人に気を遣ってばかりで、それはあたしに対してもそうだった。いつも困ったように笑うだけで、返したとしても「私はあやちゃんが好きだよ」なんていう、すぐ分かる嘘をつく。だから、こんな風にきちんと「苦手だ」と言われたのは初めてだ。

「あたしね、みんなの顔色うかがって、気遣って、身動き取れない感じだったんだ。でも、あやちゃんに嫌いって言われて、あやちゃんが本当に私のこと嫌いなんだって分かったとき、どれだけ頑張っても、嫌われちゃう人には、結局嫌われちゃうんだって、思ったんだ。そう思ったら、不思議だけど、すごく気持ちが楽になったの」

 取り繕っている様子は無かった。ただただ生真面目に、言葉を紡いでいた。

「だから、ありがとう。それだけは、伝えたくて」

 最後の締めみたいに、間宮はあたしを見て、ふわりと笑った。あたしに対して初めて見せる、無防備な笑顔を見ながら、間宮が人から好かれる理由が、ちょっとだけ分かった気がした。そして、あたしが間宮を嫌いな理由も。あたしが本当に嫌だったのは、あたしに気を遣うところでも、おどおどするところでもなかった。あたしは、根本的にあたしと気の合わない間宮が楽しそうに笑うのが、どうしても許せなかったんだ。間宮がみんなに嫌われて、みんなの前でもあたしの時みたいにおどおどしてくれたら、あたしは、ざまあみろって、思える。ほら、やっぱり間宮ってうざいでしょって、みんなに言いふらせる。でも、そうはならなくて、間宮がみんなに本当に好かれていた。だって、ミサもユーコも、間宮の悪口は絶対に言わない。あたしは言われたことあるのに。ようするに、みっともない嫉妬の塊。でもそんな醜い嫉妬を隠したくて、子どもの我侭みたいに嫌いって言ってたんだ。
 あたしの心の中はねちっこくてどろどろしてねばついてて、まるで油みたいだ。でも、間宮の心の中は、きっと蒸留水みたいに無色透明でさらさらしている。あたしの言葉に未練を持たず、何も気にせず、さらさらと流れていく。あたしの気持ちなんか考えず、さらさらと進んでいく。その綺麗さが、ねたましくて、憎らしかった。

「やっと言えた」

 間宮は胸に手を当て、はにかみながら、肩を上下させて深呼吸をした。その仕草を見たとき、初めて間宮が可愛いと思った。そう思った瞬間、勝手に唇が動く。

「あたし、やっぱり間宮が嫌い。大っ嫌い。今日だって気ィ遣いすぎて超疲れた。やっぱ、間宮ってあたしの人生疲れさせる天才なんじゃないの」

 吐き出した言葉は、やっぱり、あたしの剥き出しの嫉妬を隠したがる。きっと、これからも。間宮は、そんなあたしの心の中を見透かしているのかいないのか、今度は全然怯えずに、むしろさっぱりした顔で笑った。

「それ、そっくりそのままあやちゃんに返してもいい?」

 あたしは思わず目を見開いて、その後、堪えきれずに吹き出した。

「どーぞ? 百倍返ししてあげる」

 あたしがそう返すと、間宮は楽しそうにくすくす笑った。
 水と油が混ざり合っても、結局分離しちゃうみたいに、きっと、あたしの心と間宮の心が混ざり合うことは出来ないだろう。でも、今、その境界線に立てた気がした。水と油が唯一触れ合う境界線に。
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